億万長者なりの幸せもあれば、平凡な暮らしなりの幸せもある

 

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世界には、億万長者といえる人々が大勢います。


今日は、友人と話していて、彼らのことが話題になりました。


一般的な経済レベルで、一般的な、平凡な生活を送っている一人としては、全く彼らの資産がどれくらいすごいのかは、想像以上です。


桁違いの収入、資産の数字に、想像すらできませんでした。


世界の億万長者の中でも、今日の話題に上がった億万長者はロシアの億万長者についてでした。


ロシアでソビエト連邦という社会体制があった当時に生まれた人の中で、億万長者まで資産を築き上げた人たちがいます。


アメリカとは違って、社会主義国であれば、人々の間で一律の生活レベルの生活を送ることが普通だと思っていました。


ですが、一部の人達はそんな状況の中でも、ビジネスに成功していたようです。


ただ、彼らの多くの生涯は、全く順風満帆であったわけではなかったようです。


調べてみると、刑務所で数年間暮らした人もいれば、殺害された人さえいます。


また、身の安全のために、ロシアを離れ、別の国で暮らしている人もいます。


ビジネスに成功した人であれば、経済的にはゆとりがあり、自由を得ていると考えられますが、社会的自由、政治的自由という点では、経済的自由と並行して得られたわけではないことが分かりました。


彼らが、もしアメリカや日本など、自分の意見を自由に主張出来る国にいれば、状況は変わっていたのかもしれません。


一方、彼らがビジネスで成功したのは、ソビエト連邦という世界にいたからかもしれません。


もし、別の状況だったらと考えることはできますが、私が知りえるのは、メディアを通しての情報だけなので、推量したとしても、決して現実から離れたものだと思います。


彼らの人生を思いやると、成功の大きさと同様に、波乱に満ちた日々を感じます。


そして、ありきたりだけれども、ささやかな幸せを味わえる自分の生活が、どれほど恵まれているかを感じました。


ビジネスに成功しているわけではないけれど、プライベートな時間が確保することができ、誰からも束縛されたり、干渉されないでいることのありがたみを感じます。


億万長者であれば、億万長者なりの幸せがあるのかもしれません。


ですが、私は、私の生活なりの幸せがあることをしみじみ感じました。